正倉院のやじろべえ(下り棟の銅板)

「正倉」とは、元来「正税を収める倉」の意で、律令時代に役所に設けられた保管庫だった。 また、南都七大寺にはそれぞれの寺領から納められた品や、宝物を収蔵する正倉があり、それを塀で囲ったものを「正倉院」と称した。各地に正倉院が存在したが、多くは廃絶して東大寺正倉院内の正倉一棟だけが残ったため、「正倉院」は東大寺に所在する正倉院宝庫を指す固有名詞化し、現在は宮内庁の施設等機関である正倉院事務所が正倉院宝庫および正倉院宝物を管理している。

創建は、遅くとも天平宝字三年(759)以前で、高床式檜造り、屋根は単層、寄棟本瓦葺き。東西に並ぶ10 列、南北 4列の自然石の上に束柱を立て、間口約 33メートル、奥行約 9.4メートル、床下約 2.7メートル、総高約 14.2メートルの巨大な建物を支えている。1200年の間に何度も修理が行われ、近年では天保、明治そして、大正 10年には解体修理が行われた。

棟の稜線上の銅板は、雨漏りを完全に防ぐ目的で、野地の二重化と共に採用された改良点であった。その銅板の上で踊っているや青銅のやじろべえは、大正の修理時点ではすでに取り付けられていたもの。修理・点検用の丸環で、瓦を葺けば、写真のように、本体は丸瓦の隙間に入り込み、下からは見えない。

写真:JWHA 日本防水の歴史研究会