銅屋根クロニクル

No.36

永平寺と並ぶ曹洞宗大本山 總持寺(神奈川県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

總持寺(そうじじ)山号は諸嶽山(しょがくさん)。本尊は釈迦如来。瑩山禅師によって開創され、明治31年まで石川県鳳至郡門前町にあったが、この年の4月13日夜、本堂の一部より出火、多くの伽藍が焼失した。明治38年5月、本山貫首となった石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみならず、明治44年(1911)に寺基を現在の地、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目に移した。

1965年(昭和40年)竣工。仏殿右に位置し、高さ36メートルは千畳敷きの大建築。本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめ、歴代禅師の頂相(ちんぞう=肖像)を安置している。大祖堂の地下は客殿となっており、瑞応殿と呼ばれている。巨大な屋根は銅板による本瓦棒葺き。

總持寺

太祖堂

總持寺

三門

三門(さんもん)

1969年(昭和44年)落成。鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさを誇る三門。左右には金剛力士(仁王)像が置かれ、そのモデルは元横綱・北の湖の15 歳の姿という。銅板による本瓦棒葺き。

三松閣

三門をくぐると右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇が現れる。1990年(平成2年)竣工。能登の祖院にあった三本の龍形の松にちなみ「三松閣」と呼ばれる。

仏殿

總持寺仏殿(大雄宝殿)仏殿1915年(大正4年)竣工。本尊釈迦如来像を安置する伽藍中心部に南面して建ち、方三間一重もこし付の形式で、屋根は入母屋造、本瓦葺。伊藤平左衛門棟梁による荘厳な建築は国登録文化財。

一文字葺きの銅板葺き宝蔵館は金色の擬宝珠(ぎぼし)をいただく。

仏殿

待鳳館

紫雲臺 大正4年。入母屋造、唐破風付の向拝をもつ壮大な本瓦葺。

待鳳館

関東大震災で玄関を除き倒壊。昭和32年東京・千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築。 總持寺の迎賓館。柔らかいむくりの瓦葺屋根に、銅板一文字葺きの唐破風の車寄せがつく。大きくはない建物だが、ダイナミックな屋根のラインが見どころだ。

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