No.38

美人山「畝傍(うねび)」を背に広がる昭和神宮建築の粋
橿原(かしはら)神宮(奈良県)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

日本書紀において奈良・橿原は日本建国の地と記された。さらに天照大神・あまてらすおおかみの血を引く「神倭伊波禮毘古命・かむやまといわれびこのみこと(後の神武天皇)が、 国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、畝傍山・うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建した」と書かれている。第一代天皇として神武天皇が即位したのが紀元元年とすると、今から約2687年前。その神 武天皇をまつる橿原神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建て、即位したとされる宮址に、明治23年(1890)4月2日に官幣大社として創建された。平安神宮1895年(明治28年)に先立つこと5年である。設計は、平安神宮と同じく伊東忠太である。

1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。

本殿は1855年(安政2年)建立の京都御所賢所(内侍所)を創建に際して移築したもので、 重要文化財に指定されている。このほか同時に京都御所から移築した神楽殿(御饌殿)も重文指定されていたが、1993年(平成5年)2月4日の火災で焼失した。 内拝殿(ないはいでん)は紀元祭など重要な祭典に使用され、特別参拝の際の拝殿ともなる。内拝殿と外拝殿との間には、周囲を廻廊に囲まれた3200㎡(約970坪)の外院斎庭(げいんゆにわ)があり、紀元祭には数千人の参列者で埋めつくされるという。

別境内図

橿原(かしはら)神宮(奈良県)

内拝殿、回廊、幣殿、本殿の屋根

左手前から右奥へ内拝殿、回廊、幣殿(いずれも銅板一文字葺き)、本殿(檜皮葺き)の屋根が重なる。

檜皮葺きの本殿 ( 重要文化財) 銅の箱棟

外拝殿

外拝殿

これを「げはいでん」と読むか「がいはいでん」と読むか、まだ定まらない。橿原神宮は「げはいでん」である。

昭和14年に完成した外拝殿は、「耳成山と香具山が奪い合った」という優美な畝傍山を背景に、両脇に長い廻廊を連ねた壮大な入母屋造りの建物である。外拝殿の石階段を上ると、正面に内拝殿が見え、その屋根越しに幣殿の千木・鰹木が金色に輝いてそびえている。境内最大の見どころだろう。同神宮の公式HPはこの景観を「昭和の神社建築の粋ともいうべき豪壮さがうかがわれる。八紘一宇(はっこういちう)の大理想をもって国を肇(はじ)められた神武天皇の宏大無辺な御神徳を景仰するに、まことにふさわしい」と紹介している。

弊殿

幣殿

幣殿(へいでん)は、祭典の際に神饌(しんせん)を供え、祝詞(のりと)を奏上する場所で。ここでは屋根に千木、棟の上に鰹木を置くなどの様式をとっている。2月11日例祭(紀元祭)の際には、勅使が幣帛(へいはく)を奉献し、祭文を奏する。

本殿は安政2年に建造された元京都御所の賢所で、明治23年の神宮創建に際し、明治天皇から下賜され、移築されたものである。そのため屋根には通常の千木や鰹木などが加えられることなく、素木建、入母屋造、屋根は桧皮葺のままで、専ら祭神が鎮座する。その代わりに新たに創建された幣殿に千木・鰹木が設けられたのだろう。

神楽殿

本殿と同時期に建造された入母屋造桧皮葺きの元京都御所の神嘉殿で、橿原神宮創建に際 して明治天皇から下賜された。当初は拝殿に充てられていたが、昭和6年に現在の位置に移築された。のち火災により消失し、現在の建物は平成8年6月に竣工したもの。

参集殿

神楽殿と繋がる入母屋造の建物でこれも銅板葺き。平成24年に改修されている。祈祷並や婚礼等の控室として使用される。

幣殿の鬼板。千木の根本のもので、縦100センチ、横190センチ、幅30センチ、表面に直径35センチの菊の紋章が施されている。平成21年に取り替えられた。 鬼板は、鬼面がなく、箱棟などの端に取り付ける棟飾りで、鬼瓦の代わりに取り付ける板。

ついでに見てほしいのが、近鉄橿原神宮駅。銅板葺きではないが、粘着層付の銅板防水による屋根施工。