No.39

多摩の銅屋根ウォッチング隠れスポット
妙福寺(東京都)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

武州多摩郡三輪村の妙福寺。現在の地名は東京都町田市三輪である。
「長祐山妙福寺」の開山は1391年。足利将軍が幕府を開き、明と国交を開いた頃にあたる。身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の日億聖人によって開かれた池上本門寺・鎌倉妙本寺 両山の旧末寺であり、約4000坪の境内にある伽藍のほとんどが、東京都や町田市の有形文化財に指定されている。

白洲正子の「鶴川日記」にも登場する妙福寺。大きな欅の参道を通って、まず目につくのがこの鐘楼門だ。くぐり門形式のめずらしい鐘楼門で延享3年(1746)建立。上層に鐘を吊るした一間楼門で、昭和59年(1985)に町田市有形文化財に指定されており、創建時の屋根は茅葺き。近年に高欄を修理、屋根も原型を写し銅板で葺き替えている。

茅葺きの柔らかさを銅板できれいに表しているだけでなく、棟飾りが凝りに凝っている。執念の「竹振り」なのである。

鐘楼門

正面の本堂

鐘楼門をくぐると正面の本堂。

執念の竹写し。

本堂は江戸時代後期万治2年(1659年)に再建された方丈形式。正面の向拝の増築、茅葺き屋根も銅板葺きに改められている。寛政3年(1791年)再び再建し、文政11年修理、昭和44年に茅葺き屋根を現在の銅製に改めた。正面10間に奥行7間半、向拝2間に9尺の寄棟造である。町田市内では最大級の木造建造物であり、改造が少なく保存状態が良いため、鐘楼門と同じく昭和59年(1985)、市の有形文化財に指定された。寄ってみると、この屋根の大棟も破風の棟も竹だ。

寄棟の左側面は、棟の竹包み(写し)がよく見える。蓑甲(みのこう)のふくらみがきれいなだけに、 茹でたての新タケノコの甘皮に見えてくるから不思議だ。茅葺きなどの草葺き屋根の棟を竹簀で包んで仕上げる方法を、「竹簀巻き( たけすまき)」という。ここでは、その竹をすべて銅板に、また茅葺きを銅板の一文字葺きに置き換えた。

祖師堂は池上本門寺に関わる最古の建造物で、鎌倉・室町時代の唯一の建造物として東京都有形文化財に指定されている。建立は寛文12年(1672年)池上本門寺の祖師堂(御堂)を移建した桃山様式の建築。間口3間、奥行3間半、周囲に5尺の廊を巡らせる。屋根は銅製で、前方を入母屋造、背面を寄棟造とする。昭和36年(1961年)東京都の文化財に指定され、昭和44年(1969年)、現状に復元された。祖師とは日蓮のことで、祖師堂内の万治2年製作の厨子に3尺1寸の像を安置する。(寛文12年祖師堂移築のおり、堂と共に安置された像が後に日法作と判明したため、池上本門寺像と延宝6年10月に交換した。)

祖師堂に関しては、昭和44年3月、「都重宝妙福寺祖師堂修理工事報告書」に、屋根銅板工事の詳細が記録されており、「平葺き部分は0.3㎜銅板六つ切り一文字葺き。棟飾りの馬乗り竹は銅板なまし板を用い、打ち出し加工をした。押さえ竹は竹製を模倣して節出し、継ぎ手は半田付とし、銅線は十二番線数本をねじ合わせ、縄のように見せ化粧に取り付けた。」 と記されている。工事前後の屋根の比較ができる貴重な資料だ。

これが銅板で竹を作るための道 具「 竹節・たけぶし」

現在の入母屋造りの茅葺屋根。祖師堂正左側面。

現在の祖師堂正面。本堂手前左側の祖師堂ももちろん竹ずくし。

改修前の祖師堂。

改修前の祖師堂正面。