銅屋根クロニクル

No.63

あぶり餅、玉の輿でにぎわう 平安の疫社(えきしゃ)
今宮神社(京都府)

(1/1) ルーフネット 森田喜晴

京都市北区紫野今宮町に鎮座する。創祀(そうし)は正暦五年(994)。祭神は大国主命、事代主(ことしろぬし)命、稲田姫(いだひめ)命の三柱。健康長寿・良縁開運の社とされる。
桓武天皇による平安建都(794)以前よりこの地には、疫病を鎮めるために、疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。のち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされた。これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。

社伝によると、正暦五年(994)、国中に疫病が流行したので、朝廷は木工寮修理職に命じ、疫神のために神輿を造らせ、船岡山に安置して御霊会を行ったことが始まりという。疫神を鎮める試みは祭りにもなった。それが「やすらい祭り」である。桜の散り始める陰暦3 月に疫病が流行したので、花の霊を鎮め、無病息災を祈願したのが祭りの起こりという。「夜須礼(やすらい)」「鎮花祭」「やすらい花」ともいい、昭和62年(1987)に、国の重要無形民俗文化財に指定された。鞍馬寺の鞍馬の火祭、太秦(広隆寺)の牛祭とともに京都の三大奇祭の一つに数えられる。

今宮神社の古い社歴、紫野の地、疫神を祀るという点で、京都の神社の中でもディープな神社なのだが、現在では、玉の輿の語源になった「お玉さん」にあやかる良縁祈願や、参道の「あぶり餅」で、有名だ。

今宮神社の古い社歴、紫野の地、疫神を祀るという点で、京都の神社の中でもディープな神社なのだが、現在では、玉の輿の語源になった「お玉さん」にあやかる良縁祈願や、参道の「あぶり餅」で、有名だ。

西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。桂昌院の今宮社に対する崇敬と西陣への愛は強く、元禄7年(1694)に牛車を寄進、祭事の整備、氏子区域の整備拡充、やすらい祭の復興に力を尽くした。江戸時代には社領として今宮神社に50石が与えられた。

現在の本殿は明治35年に再建されたもの

現在の本殿は明治35年に再建されたもの。平安・鎌倉期を通じて朝廷による修復、室町将軍の造営修復を繰り返すが、応仁の乱によって衰退する。安土・桃山時代の秀吉の支援、近世に入ってからの西陣台頭により、活況を取り戻す。

あぶり餅は、祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まりとされ、東門の門前に参道をはさんで、「一文字屋」と「かざりや」の2軒の店が向かい合う。

拝殿

拝殿。元禄7年(1694)に造営され、弘化3年(1846)に改修。拝殿は幣殿正面に建ち、境内軸の中枢に位置する。

寛政7年(1795)には、織物を中心とした西陣界隈の豊かな経済力を背景に御旅所に能舞台を設け、秋季に能の公演を行っていた。しかし、織物産業の衰退により、1970年代を最後に途絶えた。
明治29年(1896)に本社殿を焼失したが、明治35年(1902)に再建を果たした。

本殿

本殿。

若宮社

若宮社(わかみやしゃ)。元禄7年(1694)建立。中央の若宮社は伊弉那美神・向かって右の加茂斎院は歴代斎王の御霊、左の若宮社は御霊を祀る。

あぶり餅は、祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まりとされ、東門の門前に参道をはさんで、「一文字屋」と「かざりや」の2軒の店が向かい合う。一文字屋は1000年の、かざりやは江戸時代初期の創業という。小さくちぎった餅にきな粉をまぶし、竹串に刺したものを炭であぶって、白味噌のたれをかける。2軒とも販売は店頭限定。地元民にも根強い人気の珍しい「名物」である。

アクセス:〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21
     TEL. 075-491-0082
     市バス46番『今宮神社前』下車すぐ。1番・12番・204番・205番・206番・北8番・M1番
     『船岡山』下車徒歩7分。

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