あの屋根!この屋根!

我が国最古の銅板屋根の記録

東大寺と並ぶ西大寺の大伽藍 銅瓦葺きの金堂屋根に錺金物が輝いていた

(2/3) ルーフネット 森田喜晴

西大寺資財流記帳の読み解き

杉山信三氏は論文「西大寺流記資財帳に見る二つの金堂」(1983-09「史跡と美術」53(8))で次のように読み説いている。

屋根の棟には金銅の鴟尾があり、中央には金銅の雲形を踏む金銅の獅子二匹が向かい合って立ち、蓮台を持ち、その上に火炎のついた宝珠があることを示し、次に屋根の軒先に火炎のついた36枚の銅瓦をめぐらし、棟の先には銅製の華形を8枚つけたと示している。次の「桶」を今の軒丸瓦とみて、その端を華形として、そこに鈴鐸を付けたものが46枚あったと説明する。また隅木に風鐸をかけた。また堂の扉や長押には金銅の舗(円形の飾金具)をつけ、同じく金銅の肱金を使ったことを示し、それは飾りの多かったことが語る。
弥勒金堂もほぼ同じだが、薬師金堂と比べると飾りははるかに少ない。

また同じ部分を、長谷川誠氏は「西大寺」(昭和40年、中央公論美術出版刊)の中で、「資財帳によれば、創建時の西大寺金堂院は薬師、弥勒の両金堂からなっていて、それらの建物の装飾は新奇を凝らした華麗なものであった」としてこう解説する。

「薬師金堂の屋根はブロンズの瓦で葺かれ、鴟尾や鳳凰、それに獅子や火炎の装飾が附けてあるほか、軒には鈴や風鐸がつるされて(妙音をひびかせて)いた。また弥勒金堂もほぼそれに近い装飾で飾られていた。」

このように西大寺資財流記帳には、薬師金堂の屋根には銅瓦を使った、と書かれている。これを根拠に、金属屋根業界は、「銅を日本で最初に屋根に葺いたのは西大寺である」としてきた。ちなみに薬師金堂,弥勒金堂以外の他の堂宇は檜皮や杮葺き、草葺き、瓦葺き、となっている。

『西大寺資財流記帳』西大寺所蔵

『西大寺資財流記帳』西大寺所蔵

時代も構造も違うが、例えば屋根の装飾として、頁下部の赤坂迎賓館では、銅鋳物の巨大な武者像が一対、さらに天球を取り巻く星と霊鳥が建物を守る。これらは鉄骨補強煉瓦石造の建物の周辺部にガーゴイルのように、据えられている。また、湯島聖堂大棟の両端の鴟尾も存在感がある。通常虎頭魚尾だが、ここでは龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている鬼犾頭(きぎんとう)。伊東忠太デザイン。

しかし薬師金堂ではもっと多くの装飾が屋根に並ぶわけだ。鴟尾1対、獅子1対その獅子は、雲を踏んだ獅子で、蓮台を持ってその上に火炎宝珠がある。棟の先に銅製の華形が8枚。軒先には銅の火炎と鈴鐸のついた瓦が取り巻く。長谷川氏によれば鳳凰まで載っているというのだ。この様子を、京都古建築の銅板工事に詳しい人たちに尋ねても、想像できないという。

先に述べたように、現在の西大寺に創建当時の建物は全く残っていない。従って果たして本当に両金堂は資財流記帳に書かれた通りに建てられたのかは証明できない。2013年に奈良市教育委員会が発刊した「西大寺旧境内第25次調査」として発掘調査結果の報告書においても、銅瓦の痕跡は見つかっていない。

しかしこの時の調査で国内最古の出土例となるイスラム陶器片ほか西大寺造営が当時の政治中枢と深く結びついていたことを示す資料が多く出土した。遺構の調査においても、資財流記帳の伽藍配置の記載と一致することから、資財流記帳の信憑性は高い。またこの報告書には「緑釉瓦」破片の発見も報告されている。この緑釉瓦発見の意味は大きい。資財帳の裏付けとして引用される巡礼記に書かれているからだ。同報告書の中で、イスラム陶片に関して「イスラム陶器は平城京では初めての出土例であり、共伴する木簡からも8世紀後半といった確実な廃棄時期を知ることができるイスラム陶器の基準資料となる。この時期に西アジアの青緑釉陶器が我が国に渡来していたことが明らかになったことは貴重な成果といえる」と記している。

通常の入り口になる東門。

赤坂迎賓館。天球儀、霊鳥、武者が屋根を飾る。

通常の入り口になる東門。

(左)金箔押しの作業中の平安美術の富山氏
(右)法隆寺型露盤宝珠

現在の西大寺境内伽藍案内図

湯島聖堂大棟の両端の鴟尾は鬼犾頭(きぎんとう)

大茶盛で用いる直径45 センチの大茶碗

(左)平等院鳳凰堂大棟の鳳凰 (右)獅子の錫型

写真提供は昭和27年生まれ、父の代から京都で寺社の錺金物を制作している平安美術の富山正二さん。長らく金剛組の仕事にも協力してきた。

資財帳しざいちょう;資財流記帳しざいるきちょう

寺院の資産を記した帳簿・財産目録。通常それぞれの縁起が記されていたので,『寺院縁起并資財帳』とも呼ばれる。奈良,平安時代,寺院の資財が散逸するのを防止するため,国家が霊亀2(716)年以来,作成を命じた。天皇の上覧に供することもあった公式文書であり、内容には正確さが求められた。そのため、今日残る奈良時代の資材流記帳は、古代寺院の様相を知る第一級の史料とされる。

資財帳の例:大安寺伽藍縁起並流記資財帳(747年)、法隆寺伽藍縁起並流記資財帳(747年)、法隆寺東院縁起資財帳(761年)、

資財帳しざいちょう;資財流記帳しざいるきちょう

阿弥陀悔過料資財帳(767年)、西大寺資財流記帳(780年)、多度神宮寺伽藍縁起並流記資財帳(788年)、広隆寺縁起資財帳(873年)、広隆寺資財交替実録帳(890年) など。

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